SFCって都会ですよね。
僕の生まれた場所は本州の端、下関でコンビニもありませんでした。
携帯も圏外でした。
そんな僕からしたらコンビニもWi-FiもあるSFCは
田舎者からすると大都会です。
”東京に行けば何もかも手に入る。”
”東京に行けば人生が変わる。”
「東京に行くこと。」
それは10代の僕の夢でした。
小学生の頃「東京」はテレビの中の世界でした。
中学のとき初めて東京を訪れました。
忘れもしません。電車の中、駅名が少しずつ少しずつ東京に近づいて感動した時のことを。
高校の時にはオープンキャンパスに行くという理由を付けて、一人で東京へ向かいました。
それがいつしか『「田舎」と「東京」はこんなにも違う。時間がゆっくり流れる僕の居場所はここじゃない。』
という想いに変わり東京で生きたくなりました。
そこで「慶應に進学」それを建前に東京に向かうことに決めました。
万年E判定。
ビリギャルのような映画の主人公なら奇跡起こして合格でしょう。
でも不合格。
瞬く間に東京から故郷へとんぼ返り。
さらに不合格の代償として故郷にも居場所を無くし、予備校に通うわけでもなく、知り合いもいない福岡でたった1人で暮らし始めました。
一応福岡という都会に出てきた。
でも僕の中で「東京」の二文字が消えない。
悔しいほど、世界中のどんな消しゴムで消しても消せないほど焼き付いていました。
もう一度行こう。
そう心に決めて、金のない18の僕は、毎日冷えきった米をかっ食らうだけの生活を1年間経て運良くSFCに拾われました。
憧れの東京に来れたときは舞い上がっていました。
これから自分の可能性は無限大で、何もかもこなせるような気がしていました。
あれから4年経ち、4年間の間に様々な経験をして僕が感じ取ったのはその「厳しさ」です。
夢に挫折しそうなとき、憧れだった「東京」は何も助けてはくれません。
自分がどれほどちっぽけなのか。自分より上な人がどれだけいるのか。
どうしてこんなにも多くの人が離れていくのか。
何でも出来るという想いから、上手く行かないという想いに変わっていました。
でもこれからが一番伝えたいことです。
もしこんな厳しさを知っても、誰かに負けても、何を言われても、僕は闘うことを辞めやしない。
どれだけ冷たくされても、好きで、好きで憧れの東京で、闘うことを辞めたら弱虫に飲み込まれてしまう。
僕が僕であり続けるために、闘い挑み続けたい。
何年かかってもいい。
笑われていい。
何かが変わると信じ続ける。
僕の人生が映画になるのはまだ早い。
どんな世界中の名作の小説よりも面白い自分の人生、
1ページずつ描いてやります。